2009/06/28 17:34:35
三種の神器 神剣・草薙剣の行方 Y
スサノオの剣の呼称
所在 吉備(岡山)の石上布都魂神社(祭神スサノオ)
日本書紀 (一書含む) 古事記 古語拾遺 先代旧事本紀
十握剣 十拳剣 天の十握剣 十握剣
蛇のアラ正 斬蛇の剣 大蛇の羽羽 蛇の荒正
蛇の韓鋤(からさひの剣) 生大刀 天の羽羽斬剣
天の蠅斬剣
アマテラスの神剣の呼称 所在 熱田神宮
日本書紀 古事記 古語拾遺 先代旧事本紀
天の叢雲剣 都牟羽の大刀 天の叢雲 天の叢雲剣
草薙剣 都牟刈の大刀 草薙剣 草薙剣
草薙剣
都牟(つむ)は、おつむのつむ、頭を意味するという説がある。すると都牟刈の大刀の名前の意味は、頭を切る大刀ということにならないか。スサノオの十握の剣は様々な名前で呼ばれていて、色々な伝承があったことを窺わせる。
中でも「天の羽羽斬剣」の名は、重要な意味を示唆しているようにも受け取れる。「天の」が冠されると、どうしても天神系の氏族がイメージされる。
天の羽羽とは、天の羽羽矢が連想されるのである。天神系氏族が用いる独特の武器・天の羽羽矢を切る剣、すなわち国神系のスサノオの戦いぶりを象徴しているようにも思える。
草薙剣 歴代の所有者
スサノオ
アマテラス(天神)
ニニギ
豊鋤入姫
倭姫(伊勢神宮)
倭健
美夜須姫
熱田神宮
天武天皇
熱田神宮
布都御魂(剣)
布都御魂は、またの名を佐土布都神、または甕布都神
所有者
建御雷之男神
高倉下(天香語山命)
神武天皇
所在 石上神宮(天理市)
記をよく読むと神武は、ニニギの代からの草薙剣を授かっていないようだ。少なくとも託されたという記述はない。そして高倉下を通してタケミカズチの神剣を授かっている。草薙剣を託されているのなら、タケミカズチから布都御魂を貰う必要もなく、草薙剣を使えば敵を倒せたはずである。
ここで不思議なことは、タケミカズチの持っていた剣は十掬剣(とつかのつるぎ)であり、国譲りの時に持参してその上に胡坐をかいている。古語拾遺によれば、オオナムチに攻め勝ったこの時に、オオナムチと事代主から矛を献上させている。
所在 吉備(岡山)の石上布都魂神社(祭神スサノオ)
日本書紀 (一書含む) 古事記 古語拾遺 先代旧事本紀
十握剣 十拳剣 天の十握剣 十握剣
蛇のアラ正 斬蛇の剣 大蛇の羽羽 蛇の荒正
蛇の韓鋤(からさひの剣) 生大刀 天の羽羽斬剣
天の蠅斬剣
アマテラスの神剣の呼称 所在 熱田神宮
日本書紀 古事記 古語拾遺 先代旧事本紀
天の叢雲剣 都牟羽の大刀 天の叢雲 天の叢雲剣
草薙剣 都牟刈の大刀 草薙剣 草薙剣
草薙剣
都牟(つむ)は、おつむのつむ、頭を意味するという説がある。すると都牟刈の大刀の名前の意味は、頭を切る大刀ということにならないか。スサノオの十握の剣は様々な名前で呼ばれていて、色々な伝承があったことを窺わせる。
中でも「天の羽羽斬剣」の名は、重要な意味を示唆しているようにも受け取れる。「天の」が冠されると、どうしても天神系の氏族がイメージされる。
天の羽羽とは、天の羽羽矢が連想されるのである。天神系氏族が用いる独特の武器・天の羽羽矢を切る剣、すなわち国神系のスサノオの戦いぶりを象徴しているようにも思える。
草薙剣 歴代の所有者
スサノオ
アマテラス(天神)
ニニギ
豊鋤入姫
倭姫(伊勢神宮)
倭健
美夜須姫
熱田神宮
天武天皇
熱田神宮
布都御魂(剣)
布都御魂は、またの名を佐土布都神、または甕布都神
所有者
建御雷之男神
高倉下(天香語山命)
神武天皇
所在 石上神宮(天理市)
記をよく読むと神武は、ニニギの代からの草薙剣を授かっていないようだ。少なくとも託されたという記述はない。そして高倉下を通してタケミカズチの神剣を授かっている。草薙剣を託されているのなら、タケミカズチから布都御魂を貰う必要もなく、草薙剣を使えば敵を倒せたはずである。
ここで不思議なことは、タケミカズチの持っていた剣は十掬剣(とつかのつるぎ)であり、国譲りの時に持参してその上に胡坐をかいている。古語拾遺によれば、オオナムチに攻め勝ったこの時に、オオナムチと事代主から矛を献上させている。
2009/06/28 10:33:44
三種の神器 神剣・草薙剣の行方 X
スサノオの剣は十握であるから、刃渡りおよそ60センチ程と思われる。しかるに草薙剣は、盗み見した神官の記録によると、約81〜84センチ程である。
十握の剣は名前のニュアンスからすると、今までになかった程に長い剣であったから、その長さにびっくりして十握の剣とよばれたように思える。
だが草薙剣はそれよりもまだ長い、十四握ともいえるほど長いもので、弥生時代の北部九州で出土した銅剣よりもかなり長い。
一体この違いはなんだろう。この辺に謎が含まれているように感じられる。産地の違いか技術の違いか、時代の違いか?
また邪馬台国の会の活動報告によれば、刀剣研究家の川口渉氏が草薙の件について、熱田の尾張連家の言い伝えとして次のような内容を紹介している。
長さは1尺8寸(54センチ)
鎬はあって横手がない
柄は竹の節のようで5つの節がある。
区(まち:刃と柄の境部分)は深くくびれている。
神体の入れ物は、樟の自然木を横に切り中をくりぬいてある。長さは4尺。
(1. 2m)
長さが54センチならば、スサノオの十握の剣(60センチ)の長さとあまり変わらないものとなる。こちらの伝聞の方がよりリアルなものとして迫ってくる。
更に韓国慶尚南道良洞里出土の鉄剣の写真を見ると、尾張連の伝えと符合していてこの剣ではなかったかと思わせるほど酷似している。
森浩一は十握の剣は鉄剣で(草薙剣は、やや銅製説が強い)草薙剣より強かった(勝った)のは十握剣と推測している。荒神谷遺跡で出土した358本の、銅剣の長さは約60センチで十握の剣とほぼ同じ長さである。
この銅剣の製作年代は、弥生時代の中期末から後期にかけてとみられている。すなわち西暦、前100年〜後100年及び200年にかけてということになろう。
十握の剣は名前のニュアンスからすると、今までになかった程に長い剣であったから、その長さにびっくりして十握の剣とよばれたように思える。
だが草薙剣はそれよりもまだ長い、十四握ともいえるほど長いもので、弥生時代の北部九州で出土した銅剣よりもかなり長い。
一体この違いはなんだろう。この辺に謎が含まれているように感じられる。産地の違いか技術の違いか、時代の違いか?
また邪馬台国の会の活動報告によれば、刀剣研究家の川口渉氏が草薙の件について、熱田の尾張連家の言い伝えとして次のような内容を紹介している。
長さは1尺8寸(54センチ)
鎬はあって横手がない
柄は竹の節のようで5つの節がある。
区(まち:刃と柄の境部分)は深くくびれている。
神体の入れ物は、樟の自然木を横に切り中をくりぬいてある。長さは4尺。
(1. 2m)
長さが54センチならば、スサノオの十握の剣(60センチ)の長さとあまり変わらないものとなる。こちらの伝聞の方がよりリアルなものとして迫ってくる。
更に韓国慶尚南道良洞里出土の鉄剣の写真を見ると、尾張連の伝えと符合していてこの剣ではなかったかと思わせるほど酷似している。
森浩一は十握の剣は鉄剣で(草薙剣は、やや銅製説が強い)草薙剣より強かった(勝った)のは十握剣と推測している。荒神谷遺跡で出土した358本の、銅剣の長さは約60センチで十握の剣とほぼ同じ長さである。
この銅剣の製作年代は、弥生時代の中期末から後期にかけてとみられている。すなわち西暦、前100年〜後100年及び200年にかけてということになろう。
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