2009/06/26 11:31:58

三種の神器 神剣草薙剣の行方 V


そのことが、ヤマタノオロチの伝説に置き換えられたかもしれない。大蛇がいて、その体内から剣が得られたという説は、科学的にも常識的にも信じられない。
ゆえに神話と言ってしまえばそれまでの事であるが、できるだけ科学的に究明していきたいものである。

高天原勢力の以前に、大国を長く支配していた王朝の神剣を得て、新興勢力の宝となり後に神剣とされるようになった可能性がある。

田中卓は伊勢国風土記を引いて、倭姫命が伊勢に巡航したときに随番していた大若子命が、草薙剣を使用して安佐賀の豪族を平定したとしている。

 そしてこの草薙剣は神代の説話を除いて、出雲の古根の検校・伊勢の平定・越の勢力の討滅・東国蝦夷の征伐にも使われたとする。
崇神天皇から景行天皇の時代に使われたものであり、これらは皆同一のものであり、今に伝わる三種の神器の一つであると信じてよいと言っている。

この間、およそ50年程と考えられるが、果たして当時の技術で作られた鉄剣が錆びもせず、折れることもなかったのだろうか。生活用具や武器も、進化していくであろうに最強の武器足り得たのか疑問である。

しかしながら実際に使う武器ではなく、天皇から討伐の全権委任を受けた旗印・象徴としての役割を負っていたと考えれば頷けるものがある。

第38代天智天皇のときに大事件が起きた。紀によれば道行という僧が、熱田神宮から神剣を盗み出して新羅へ逃亡を企てたのである。

道行は捕まったが、後に許されて法海寺の開寺に携わった模様。法海寺略由緒によると、道行は新羅国王の太子であり、国王の命を受けて神剣を盗み帰国する目的で渡来したとある。(日本神話の考古学)

盗まれた神剣は熱田神宮に返された。その後、第40代天武天皇のときに天皇の病気が重くなり、占ったところ神剣の祟りとされすぐに熱田神宮に返したと紀に記されている。この一時期は宮廷に保管していたようだ。

この後、神剣についての記述は殆ど見られなくなる。神宝についての興味は失われたかのようにもみえる。記は第33代推古天皇の記事までで終わり、紀は第41代持統天皇の記事までで巻を閉じる。

この後の歴史書は「続日本紀」に移っていく。続日本紀の、第45代聖武天皇までの記事をチェックしたが、アマテラスや神剣についての記事は載っていなかった。




2009/06/25 13:33:44

三種の神器 神剣・草薙剣の行方 U


 この時期あたりで代器(レプリカ)になったとする論者もいる。「古語拾遺」には崇神の時代に、神威を恐れて同じ宮中に居られると不安であるとして、斎部氏に鏡と剣を作らせ、これを護身御璽とされたとある。

   これは今日の践祚の日に神の御璽として使う鏡と剣である。本物の鏡と剣は笠縫村に、神籬(比茂呂儀)を立ててアマテラスと草薙の剣を移した。

その日の夕方、人は皆集まり終夜宴を開き楽で歌った。ここで注意を払いたいのは、古語拾遺には剣を移した記事だけが書かれていて、紀に書かれている倭大国魂神(大物主神と同一視されている)をも、宮中から同時に出したことは書かれていないのである。

重要なことではなかったので省略したのか。あるいはその事実がなかったのか、その詳細は分からない。
古語拾遺を読む限り、朝廷の官人はアマテラスと別居することが余程嬉しかったように見える。これは何を意味しているのだろうか。

アマテラス勢力を支配して、その支配を確立し継続していくために、アマテラスを祀っていたが祟られることが多かった。ゆえに複製品を作り笠縫村へと追放したと言っているのと同じである。

ここで菅原道真の故事が思い起こされる。
紀では言葉を濁して、オブラートで包んだような表現をしているが、古語拾遺は斎部氏(忌部)の家伝なのではっきりと書いている。
また、ヤマタノオロチから出てきた天叢雲剣の話のほかに、見過ごすことの出来ない重要な記事を載せている。

豊芦原中国をタケミカズチと経津主が平定したときのことである。大巳貴(オオナムチ)と事代主の二人が退去する際に、国を平定した矛を二神に授けたというものである。
「私はこの矛で国を平定した、天孫がもしこの矛を用いて国を納めれば、必ず平安が来るであろうから私は退去する。」と言ってその後隠れられた。
ここに経津主とタケミカズチは、帰順しない悪しき神々を誅し復命した。

という記事である。この大巳貴と事代主の矛の事は他の古文献には見えない。実際は大巳貴が退去する際の条件として、所有していた貴重な剣を献上したのではなかったか。





2009/06/23 15:52:02

三種の神器と神剣の行方 T

 三種の神器は天皇家だけが持っているものではなかった。土地の豪
族が貴人を迎える時などには、礼を尽くして榊に三種の神器を吊るす
習慣があったようだ。

三種の神器、なかでも神剣・草薙剣は、相当に複雑な経路をたどって
伝世されている。この神剣の行方を研究することは、歴史の細部を検証
することであり重要な意味を持っている。
神剣天叢雲はスサノオが発見・入手してアマテラス側に渡り、アマテ
ラスからニニギに託され日向へ運ばれた。

この後、神剣の行方は記録されていないが、神武の系統により大和に
もたらされたと思われる。
紀によれば宮中に祀られていたアマテラスは、第10代崇神の時に豊
鍬入姫に託して笠縫村に移された。

第11代垂仁天皇のとき、アマテラスを豊鍬入姫から離して倭姫命に祀
らせた。このアマテラスという表現は、三種の神器を意味しているのだ
ろう。
倭 姫は菟田に移り、後に近江に移り美濃を巡って伊勢に至り、アマテ
ラスのお告げによって伊勢に宮を立てた。
垂仁はこの翌年に物部に指示して、出雲の神宝を献上させている。第
12代景行天皇の太子ヤマトタケルが伊勢の倭姫より神剣・天叢雲を
託されていることから、倭姫により、アマテラスの三種の神器は伊勢に
移されていた筈である。

ヤマトタケルが焼津にて草を薙ぎ払い、難を逃れることができたので、
神剣をこの後、草薙剣と呼ぶようになった。ヤマトタケルから一時期
尾張の美夜須比売にわたり、その後に熱田神宮に祀られた。

 






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(株)親栄商事
カナ
シンエイ ショウジ
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