『猪・猿・熊・鹿の聖域を侵しているのは我々かと?』
まだまだ暑苦しい日が続き、毎日止まることが無く回り続けているエアコン、その電気代が気に成って仕方がないこの頃。もしその電気の供給が止まってしまったら、現在の私たちは如何にしてその暑さをしのぐ事が出来るのでしょうかね。
昭和の時代には学校の教室にも体育館にもエアコン等という物が存在しておらず、今思えば毎日どうやって過ごしていたのかと不思議に思います。もちろん我が実家にもそういう類の物など無く、窓を開け放し手には団扇片手にお盆を過ごしていたものです。
私が始めて買った車もそうで、エアコン等は装備されておらず、車の窓という窓は全開にして、夏の日差しをもろに感じていた。たまに載せて頂く先輩が乗る車には助手席に後付けされた‶クーラー″の送風器が、なんとも涼しい風を送り込む事に羨ましく思ったものです。
そう思うと今この世は随分と便利に成り過ぎて、若い頃の辛い思いはもう既に過去のおとぎ話の世界でしか有りませんが、その当時はそれが‶当たり前″だった事が懐かしくも有ります。
先日氏神様である熊野神社に参拝をしに行った時、境内横にある駐車場へ車を止めようとしたのですが、何やら視線を感じふと林の方を見れば、‶鹿の子模様″の若い鹿が3頭こちらを覗いておりました。目と目が合った瞬間彼らはすぐさま林の中へと駆け込んで行ったのですが、境内で鹿の姿を見たのはあれが始めてでしたので、少々驚かされました。
ただ、この頃人里にも鹿や猿、そして猪が姿を見せる事が多くなり、実家近くの畑にも時折その姿を見せている事も有るようですから、彼らも生き延びるためにはそれも仕方がない所なのでしょう。鹿たちも食料を求めて感を頼りに山をうろついているのでしょうが、時にはその姿は猟師の的と成ってしまう訳ですから、出来れば山奥に潜んでいて頂ければと感じさせられましたね。
元はと言えば本来この土地はその動物たちの聖域だった訳で、逆に言うと我々人間がそれを侵して来たに間違いは無いでしょうから、鹿たちには申し訳無いとも思ってしまった次第。
ただ、若い頃を思い返せば、遊ぶ場所は裏山等で栗の実やアケビ、もしかすると椎の実でさえおやつにしていたもので、それを採る為にかなり遠方まで出かけたものですが、その当時に猿や猪、そして鹿等には一切出くわした覚えが無かったですから、彼らも居場所が無くなってしまっているのでは無いでしょうか。ま、そのうちその人間の姿が珍しくなる時は、何れ来るのでしょうけど。
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