『今もなお心の中で生き続ける恩師に感謝いたします。』
今、世界は一体何処に向かおうとしているのでしょうかね。今日9月3日中国での抗日戦勝記念という式典が行われ、ロシアや北朝鮮等から各国首脳が参列される。そのパレードでは超音速兵器などの最新兵器をお披露目するそうで、全体が戦闘モードになりつつあるそんな気配が漂い始めておりますね。何でしょうかね、人々は平和という物から随分と遠ざかって行ってそうで、また何か良からぬ気配が致しますが?
国内では自民党の幹事長、政調会長、総務会長、選対委員長の4役が辞任の意向を表明してしまう事態に。ただ、今現在決着をつけなくてはいけない問題が山積している中、党内が不穏な動きをしている時期ではないのではとも思ってしまいますね。なんだかお笑いトリオの漫才を見ているような気が致します。「オレが辞める!」「じゃあオレが辞める」「なら私が!」、、、「どうぞどうぞ」というあの流れ。有る意味職務放棄なのではとも感じられますね。この先我が国も何処へ行こうとしているのか?果たして大丈夫なのかと心配致します。
昨日9月2日は私の人生で大変お世話になった恩師の命日でして、関西に住まわれているその方の奥様に電話にてご挨拶をさせて頂きました。そのご夫婦ともに私はかなり大事にして頂き、その恩は一生忘れる事は出来ない気持ちでおります。
奥様との電話では、23年がアッという間だと、そして、その当時の事が昨日の様に思い出されると仰る。まさしく私も同じで、その方が色々教えて下さった事に対して、とても有りがたく感謝している旨お伝えさせて頂いた次第。そのお方、いつもおしゃれでいつ見てもジェントルマンな立ち振る舞いをされており、様々な業界に通ずる方でした。私はいつも一緒に仕事をさせて頂きながら、その方の後ろ姿を追っかけていたものでしたね。
ただ、私が故郷の両親の事を気にし始め、京都を離れる決心をし、地元に戻った時の事。暫くしてその方から電話を頂いた事がございましたが、その時電話の向こうにいる、その方の姿が目に見えいるかのように、弱弱しい声で言葉を選びつつ話される事に驚かされたものでした、何かおかしいと。その時その異変に気付き手紙を書いたのでしたが、そのあと暫くして奥様からご主人が亡くなったとの連絡を頂きました。慌てて京都に戻り葬儀に立ち会わせて頂いたのが、今から23年前でした。その葬儀の後、その方のご自宅で暫く呆然とし、帰り路の自動車の運転はとめどなく涙が溢れてしまったものでしたね。
私の人生でたった一人‶人生の師″と呼べる方でしたので、京都を離れたのは間違いだったのかと、ずっと傍で居た方が良かったのかと、いまも後悔しております。有る時その方と一緒に神戸の地権者と交渉に出向いた時の事、その商談が上手く成立した時に、その方が今まで見た事など無かった‶ガッツポーズ″をし「よっしゃ!」と声を上げた時が有りました。それほど困難だと思われた仕事でしたから、思わず叫ばれたのでしょう。私の脳裏にはその時の姿が昨日の事の様に刻まれておりますね。またいつか一緒に酒でも呑みかわしたかったですが、誠に残念で悔やまれております。合掌
『人が人の為に繰り返す、自然破壊。』
常夏の島ハワイでは年間を通して26℃〜27℃程度と安定しており、一番熱くなる8月中旬でも30℃を僅かに超えている程度。雨期を覗けば殆どが半袖半ズボンといったスタイルで生活が出来てしまうのはとても心地良い。これまでも幾度となくワイキキにはお邪魔させて頂いた中、雨に降られた記憶が有りませんが、あの小さな島で水源はどうされているのかと聞いた事がありましたが、意外にも地下水脈がしっかり確認できているそうで、年間を通して枯れる事が無いそうでした。ただ3年程前オワフ島にあるレッドヒル貯油施設で7万ℓを超える燃料が漏れ出し、その地下水を汚染してしまったそうで、その被害に遭った方々起こした裁判は昨年結審がされたと言う所でした。
人の手による自然破壊、なんともしがたい訳で、今北海道の釧路湿原でも丹頂鶴が生息する隣接地に太陽光発電システムの設置工事が行われているそうで、その工事を中止すべく、文化財保護法を謳った意見書を文化庁に申請されているそうです。
そもそも地球環境保護の視点から始まった‶再生可能エネルギー″という有り方でしたが、それが至るところで自然破壊の原因を造っているのが現状。熊本の阿蘇山南側に位置する山都町には、牧草地を造成し福岡ドーム17個分に相当する面積が太陽光パネルで覆われてしまっている。その土地も豊かな水源の元となる場所だったそうで、今は逆にソーラーパネルが破損した時に鉛やカドミュウム等の有毒物質が漏れ出る危険にさらされている始末。そこに設置された太陽光パネルはFIT制度の買い取り記述である20年が経過した時点にはそのパネルを廃棄する事が前提で、それにかかる費用は膨大な金額となり、また、そのパネルの処分方法などについてはまだまだ充分な対策は出来たないのが現状です。
つい最近でしたか、大手商事会社が風力発電事業から撤退すると決めたのは。太平洋側、日本海側に134基の風力発電を設置するためにかかる費用が522億円と高額になるのであれば採算が取れないと諦めたそうです。あの風力発電こそ100%‶風任せ″というシステムですが、ここ日本列島で風力発電が年間を通して安定した「風」を受けられる場所は限りなく少ないと言われておりますから、断念したのは英断だったと感じておりますね。
自然を守ろうと考えだされた再生可能エネルギー、結果自然を破壊してしまっているというお粗末さ。勿論バイオマスとか地熱などではそういう危惧はないでしょうが、森林伐採をし山を削り地面が露わにされている風景を見ると、人間という生き物の哀れさがひしひしと伝わって参りますね。荒らされた自然を取り戻す事にはかなりの時間が必要でしょう。特に汚染されてしまった水源等は沢山有るようですから、我々人間は原点に返り‶自然保護″の有り方を考え直して行かなくては成らないと思いますね。
まさに天に向かって唾を吐く姿でしょう。
『猪・猿・熊・鹿の聖域を侵しているのは我々かと?』
まだまだ暑苦しい日が続き、毎日止まることが無く回り続けているエアコン、その電気代が気に成って仕方がないこの頃。もしその電気の供給が止まってしまったら、現在の私たちは如何にしてその暑さをしのぐ事が出来るのでしょうかね。
昭和の時代には学校の教室にも体育館にもエアコン等という物が存在しておらず、今思えば毎日どうやって過ごしていたのかと不思議に思います。もちろん我が実家にもそういう類の物など無く、窓を開け放し手には団扇片手にお盆を過ごしていたものです。
私が始めて買った車もそうで、エアコン等は装備されておらず、車の窓という窓は全開にして、夏の日差しをもろに感じていた。たまに載せて頂く先輩が乗る車には助手席に後付けされた‶クーラー″の送風器が、なんとも涼しい風を送り込む事に羨ましく思ったものです。
そう思うと今この世は随分と便利に成り過ぎて、若い頃の辛い思いはもう既に過去のおとぎ話の世界でしか有りませんが、その当時はそれが‶当たり前″だった事が懐かしくも有ります。
先日氏神様である熊野神社に参拝をしに行った時、境内横にある駐車場へ車を止めようとしたのですが、何やら視線を感じふと林の方を見れば、‶鹿の子模様″の若い鹿が3頭こちらを覗いておりました。目と目が合った瞬間彼らはすぐさま林の中へと駆け込んで行ったのですが、境内で鹿の姿を見たのはあれが始めてでしたので、少々驚かされました。
ただ、この頃人里にも鹿や猿、そして猪が姿を見せる事が多くなり、実家近くの畑にも時折その姿を見せている事も有るようですから、彼らも生き延びるためにはそれも仕方がない所なのでしょう。鹿たちも食料を求めて感を頼りに山をうろついているのでしょうが、時にはその姿は猟師の的と成ってしまう訳ですから、出来れば山奥に潜んでいて頂ければと感じさせられましたね。
元はと言えば本来この土地はその動物たちの聖域だった訳で、逆に言うと我々人間がそれを侵して来たに間違いは無いでしょうから、鹿たちには申し訳無いとも思ってしまった次第。
ただ、若い頃を思い返せば、遊ぶ場所は裏山等で栗の実やアケビ、もしかすると椎の実でさえおやつにしていたもので、それを採る為にかなり遠方まで出かけたものですが、その当時に猿や猪、そして鹿等には一切出くわした覚えが無かったですから、彼らも居場所が無くなってしまっているのでは無いでしょうか。ま、そのうちその人間の姿が珍しくなる時は、何れ来るのでしょうけど。
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