『8月15日、この日をもとに終戦を願います。』
8月9日今から80年前、直径1.524m長さ3.25m重量4.67tのプルトニュウム型原子爆弾がB29から長崎の街に投下されました。その威力なんと8,000度にもなる高熱を発し、爆風は半径15kmにまでその爆風がおよび、爆心地におられた方の殆どの方が即死状態だたという事でした。死者73,884人、そして重傷者は74,909人もの被害者を瞬時に出す結果となる訳です。
その3日前に広島に原爆を投下した際、日本が降伏しなかったと判断したアメリカは当初小倉に投下を計画していたそうです。ただその当日の天候が悪かった為、9日長崎に投下をしたと言われております。
アメリカの計画ではその候補地として横浜・京都・小倉も含まれていたそうで、特に京都が選ばれていた理由の一つには、京都の地形に有ったそうですね。ご存じの通り京都は盆地で有名です。その盆地の中心部に投下した場合、爆風の威力がかなり期待が持てたと言う事。
当時大統領だったルーズベルト氏の指示により、アメリカ国内で秘密裏に研究開発されてきたいわゆる「核兵器」の研究では21億ドルもの研究費を費やしていた訳です。ここぞとばかりにその威力を試す時を迎えたと訳で、 その当時の調査では瀬戸内沿岸に位置する広島の方が、そのデータを取りやすいと判断されていたため、京都への投下はされず6日広島が狙われたそうですね。
アメリカ側にすれば、マンハッタン計画のデータ収集の為に投下を試みた具合だったのでしょう。ちなみに投下の候補地だった京都に対しては、原爆投下候補地で有った為、アメリカ軍部内では事前の空爆が許されておらず、また、広島と長崎に投下された事により、最初の候補地に挙げられていた横浜・京都が無事だったと言われておりますね。実際隣接する大阪や神戸には焼夷弾が軒並み投下されておりましたが、古都京都はアメリカ側の文化財保護政策が有ったのではと言う結論にたどり着く訳です。
当時陸軍長官だった、‶ヘンリー・スティムソン″が記した日記には「トールマン大統領から暖かい支持を受けた上で私は攻撃目標のリストを京都を除いた。京都は重要な軍事拠点と考えられていたが、日本の古都であり、日本の芸術と文化の聖地で有った。我々は京都を残さなければならないと決断した。」と書き残されております。そして、なんとそれを書いたスティムソンのハネムーン先が京都だった事は本人の記憶から消しされ無かった事も理由の一つだったそうです。その日記の後には「私はこれほど美しく、綺麗な都市を今まで観たことが無かった。」と記録しております。その後彼は‶感傷的な老人″と呼ばれたそうですね。
当時の戦争を終わらせる為に最終手段として、広島と長崎に原爆が投下された。今もなおロシアとウクライナでは、その戦闘が続けられております。アメリカ・トランプ大統領とロシア・プーチン大統領がアラスカにおいて会談をするそうで、その解決策として「ウクライナ南東部領土とロシア領土の一部を交換する。」といった提案を持ち出される様です。もし仮にそれを承諾する方向に決まればおそらく‶停戦″という文字が期待できるかと思います。
8月15日、この日は我が国の終戦記念日。その日をもってロシア・ウクライナの戦争も終わりを告げて頂ければと願います。ただただ無意味に人の命を奪い合う戦争、今後一切それを繰り返して欲しくは無いですね。出来ればこの世から‶武器″という存在を抹消して頂きたい。世界中の人々が胸に抱いている‶故郷″を無くさない為にも。
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